「私」という夢の終わり

とりあえず「死んでみる」ことにする。

「だったら、とりあえずシンデみる」- 
このちょっと物騒な(かつマヌケな)名前は私がつけただけです。
あるワークショップで体験したワークで、
なんという名前がついていたのか忘れてしまったので私が自分で勝手につけました(笑)。

「もう死んだほうがマシ」というくらいボロボロになったとき、
「だったら、とりあえずシンデみる」というワークです。
と言っても、実際に命を落とすようなことは一切しません。
「死んだほうがマシ」な気分を身体で表現して、
そのまま「とりあえず、試しにシンデみる」だけです。

と書くと、こどもの「死んだふりごっこ」みたいですね(笑)。
まあ、そんなもんです。

「死んだほうがマシ」な「私」は、
もうボロボロで、誰の助けもなく、気づかれることもなく
真っ暗ななかで、ひとりぼっち、冷たく横たわっているイメージ。

というわけで、そのとおりに、
夜更けに音もなく真っ暗な中に横になりました。
そのまま自分の身体が土へ還っていくとイメージしてみたのです。

…カラダは全部土に還っていってしまった。
ああ、まさに「ashes to ashes, dust to dust」
(英語で埋葬の時に言われることば)。
私がずっと使っていた身体はもう影も形もない。

そのまま、ただその闇にいました。

するといつからから闇の中に何かたくさんの何かが浮いていました。
ゆらゆらとした「気配」のような存在感。
限りなく透明に近いクラゲの集団のような。
小さな黒い影がたくさんゆらめく。
よくよく、寄り添うと、小さな声で何やらつぶやいています。

….それは私の持っていた”思い”たちでした。
結構なボリュームです。

こんな大量の”思い”をかかえていたのか…。
ああ、思いや感情はエネルギーだから、
こうやってゆらゆらと存在しているんだな。
私の肉体という居処がなくなってしまったから、
いま、この闇のなかにゆらゆらといるんだ。

そんな思いも湧いてきます。

そのときです。ふと、

「あ、この”思い”たちも
ちゃんと闇の中に返してあげたほうがよくない?」

というアイデアが浮かんできました。


それと同時に天から闇が降りてきて、
透明に近い影のような”思い”たちを次々と包み込んでいったのです。

そうして、”思い”たちの気配も消え、本当に真っ暗になりました。

私の身体は消え、私の持っていた”思い”たちは全て消えた。
「私」はいなくなった。
ああ、今度こそ、「私」は消滅したなあ。
まさに「影も形もない」とはこういうこというんだわ。

…そして「私」が消滅してたことに気づいているこの状態があったのです。

その瞬間に何かがショートしたようにわかったのでした。
あ、この闇が、「(真の)わたし」、「気づきの意識(awareness) 」だと。

あれれ、いままで私が”気づきの意識”として感じてたものは
”気づきの意識”じゃなかったんかい?
なんかさあ、”気づきの意識”って、
こう、透明感あるもののような気がしてたんだけど。
透明で、明るさがある気がしてたんだけど?!!!
真っ暗じゃん!”気づきの意識”って???

…という混乱の思いが瞬間的に湧き上がってきたのだが、
それは単なる勘違いだったということもわかっていました。
「これだ」という圧倒的な理解。
なんとことばにしてよいのやら。
(これについては、この原稿のおしまいの【追記】を見てください)

その混乱とほぼ同時に、闇は光をとり戻し始めていました。
光の中にあらわれたのは、私がずっと「日常」と呼んでいた世界。
日が差し込む。花が咲く、鳥がさえずる、風が吹く。
夜になると月が出る。人々は笑い、楽しみ、怒り、悲しむ。
ありとあらゆる有象無象。

その有象無象の中の1つが
「私の身体」や「私自身」にまつわる思いや感情でした。

それだけのことだったのです。

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