死んじゃうと私はいなくなるの?

いつのまにか酷暑は去り、
ジャケットの必要な季節になりました。
チコちゃんに「ぼーっとしてんじゃねーよ」と怒られそうだ(笑)。

さて先週末、
BSNHKドラマ
「マリオ〜AIのゆくえ」を見ました。
面白かったなあ。

脳に人工知能(AI)マリオを埋め込まれた
「人型マリオ」(西島秀俊)が
危険視されて警察に追われる話。

逃亡中に自殺願望を持っている少年と出会い
交流を深めていくことで、
無感情だった「人型AIマリオ」は
煩悩や心、人間性を得てゆく。
最後は、アンチAIマリオの警察官に
撃たれて死んでしまいます。

心を痛める少年…

でも
「マリオ」はAIなので
サーバー上にその意識は生き続けてゆく…。
…って話。

「死は肉体という呪縛からの解放」
「死で失われるものは肉体”だけ”」
(存在はあり続け、つながり続ける)という
暖かさを感じる作品でした。

「私」はどこにあるのだろう?

これは
古今東西の普遍的な問い
「私(自分)は何?私(自分)は誰?」の
答えの1つだなあと思いました。

つまり
「AIマリオがインストールされた肉体」は
「マリオ」とイコールではないということ。

「死んじゃうと、私はどうなっちゃうの?
いなくなるの?」
と思ったことのある方は、
それなりにらっしゃるでしょう。

この疑問が生まれるのは
「自分の身体=私」
もしくは
「自分の身体のなかに私がある」と
信じているからです。

このドラマが示した答えの1つは
「私(自分)」は
「AIマリオ」のほうだということ。

大きな意識の一部が
個別の肉体に伴っているだけ。
「私」は、私の「身体」ではなくて
「意識」のほう。

それにしてもさ、
このドラマの持つ「近未来感」、
ブレードランナーみたいな
「機械が心を持つ」という
アプローチじゃないんだなあ。

モノが学習して意識や心を持つのではなく、
はじめに意識ありきで、
それがモノ(肉体)に伴い、
そして心が生まれる。
自分の世界観の古さを痛感しましたよ(笑)

西島秀俊の
「心を伴わない肉体の動き」から
「心を伴う肉体の動き」へと
変化していく演技が
すばらしかった〜。
いいドラマ見た、ほんと。

再放送がもしあったら、オススメします。
(リンクはっとく)
https://www.nhk.or.jp/dsp/mario/

コメントを残す