終戦記念日に 〜 ジャガイモ嫌いの少年の話

今日は終戦記念日です。

終戦記念日というと、必ず思い出すのが
父のジャガイモ嫌いの話です。

今日は、ココロのしくみ、ということも踏まえて
父のジャガイモ嫌いの話を。

 

⬛️見るだけでもキライなジャガイモ。

その昔、
私は身体が弱く、食の細い子供で、食べられるものがあまりありませんでした。
母は、なんとか私が食事をするよう様々に工夫をしていたものです。

数少ない食べられるものの1つがジャガイモでした。
カレー、シチュー、ハンバーグの添え物…
特に熱々の粉ふきいもにバターをのせるのが大好きで。
これだけは、どんな時にでも食べることができたのです。
そして、ある休日の晩御飯
たぶん、その日も食欲がなかったのでしょう。
私の前には好物の粉吹きいものお皿が出されました。

すると父は超不機嫌に。
「なんでジャガイモ出すんだ!」と苦い顔。
もちろん、父の食事にはジャガイモは出されていないのに、です。
母も私も弟もビクビク。食卓は一気にピリピリムード….orz

 

⬛️美味しくないから?

どうして見たくもないほど嫌いなのだろう?
それは私の素朴な疑問でした。
だって私は好きなのですから。

なので
その日だったか、別の日だったか忘れたたのですが
幼稚園児の単純な好奇心で
「どうしてパパはジャガイモ食べないの?」ときいてみました。

すると
「ジャガイモはまずい。
まずいジャガイモをパパは死ぬ分まで食べたからもういいんだ」
という答えが。

死ぬまで???!!!

「えー? 死ぬ分って、パパはいくつで死ぬかしってるの?」とまた尋ねると
「パパは53歳で死ぬんだ。53歳の分まで食べた」
というではありませんか。

「どうしてパパは53歳で死ぬってわかるの〜?」
と次の疑問がわきあがり、頭はプチパニック。
(ちなみに53をとっくに過ぎましたが父は生きてます)

が、そのあと、
戦争中、学童疎開の頃にジャガイモを食べた話をきかされました。

戦争の頃、父は学童疎開に行きました。

学童疎開というのは、子供の安全をはかるため
学校単位や地域単位で行われた地方への長期的避難のようなもの。
学校単位、ですから当然親と離れて行きます。
父はまだ10歳にもならない子供でした。

学童疎開が行われるようになったのは、戦局も悪化し
食料も不足している頃。

都市部どころか、田舎でも食料も不足しており
ジャガイモぐらいしか食べるものがなかったようです。

それも、ものすごくまずいジャガイモ。

ジャガイモが食べれればまだいいほうだったとか。
葉っぱしか浮いていないすいとんで1日とか。

本当に食べ物がなくて、食べることしか考えていなかった。
ジャガイモ見ると、その時のことを思い出すというのでした。
食べ物がないから、とりにいくしかない。
川で魚をとったり、草を食べてみたり、
木登りして鳥の巣に卵がないかさがしたり。

この話は、その後何度か聞くことになるのですが
それは当時の私にとって想像のできない話でした。

ただ、この話は、どうも父にとってつらいことで、
思い出したくないことなんだろうな、ということは子供心にも察していました。

 

⬛️思い出したくないから、遠ざけたい。

こんなふうにして生活の中で
人にはあまり語りたくないことがある、ということを学んだ方は多いでしょう。

何十年と時間が経っても
その記憶に感情が伴っている間はやはり生々しいことも。

語りたくない、思い出したくないことに
触れられると、怒りがわいて攻撃的になることも。

思い出したくないから、あまり語らず、
語らないから、感情はそのまま心の中に凍結されて
辛さは全く変わらないということも。

セラピストになるために
心の仕組みを学んだ時に、この経験が確信へと変わりました。

父がジャガイモを見て不機嫌になったのは
ジャガイモを出した母が悪いわけでも、私が悪いのでも、
ジャガイモが悪いのでもないということに。

父のなかに、少年時代の
食べられないひもじさや、両親と離れてくらす心細さが、
ただ残っていただけなのだったと。

猛然と怒る父を見て「どうしてこんなに怒るんだろう?」と
怖がっていたのですが、
父の中に残っていた、こうした感情に思いを寄せた時
私はようやく父の怒りの正体がわかったような気がしました。

ジャガイモ、は、父のトラウマの「トリガー」だったのだと。
ただ、思い出すのがつらいから遠ざけたかっただけなのだと。

それは父への深い理解でした。

 

⬛️トラウマではなく、愛を糧に。

私が子供の頃は、まだ「戦前」の人たちが社会の主流でした。
住む家を失い、愛する人を失い、食べ物にも困り、
それを生き抜いてきた人たちが日本国民の半分以上でした。

日本の大半が
戦争をくぐり抜けていたトラウマのエネルギーのなかにいた
その心の痛みに必死で蓋をして生き抜いてきた人が多かったのかと思います。

今の時代にトラウマがないといっているのではありません。
平成の時代にも
オウム真理教によるテロ行為や、
阪神淡路大震災や東日本大震災といった痛ましい事件がありましたし
どの時代が良いのか、といった
世代間の比較が何かを生み出すとも思いません。

けれど、

この30年間に、私たちが戦争を経験しなかったというのは素晴らしいことだと思います。

今年で平成も終わり、「平成最後の夏」ということばが時折きかれます。
みんなでトラウマを抱えるような時代は、もう訪れませんように。
トラウマという大きな負のエネルギーを糧にするのではなく、
自分の中に育て培った愛情を隣の人へ、近くの人へ、遠くの国々へと
分けあえる時代になりますように。
それがオバサンから「ポスト平成」への願いです。

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