これからご紹介するのは、癒しという観点から「自己(エゴ)」探究を続けてきた私こと「小貫淳子」が、「小貫淳子」という「夢」「幻」から(ちょびっと)覚めたプロセスのお話です。
全部で4ページかありますが、5分もあれば読めると思います。
あなたの物語の終わり、の参考にどうぞ。
はじまりは「苦しみ」から
2年ほど非常に悩んでいたことがありました。
私は溝口あゆかさんが提唱されている
Open Awareness Dialogue(オープンアウェアネスダイアログ)
という手法の心理セラピーを続けています。
非二元をベースにした癒しのプログラムです。
自分自身がこのやり方でとても楽になってきたので、
そのままOADセラピストとなりました。
心理セラピスト、という「心の苦しみ」を扱う仕事をしているからか、
時折「淳子さんも悩んだりするんですか?」と
尋ねられることがあります。
そんな時は
「お医者さんだって病気になるように、セラピストだって悩むよ」
と答えています。
もしセラピストでない人との
「悩み方」に対する違いをあげるとすれば、
自分自身の悩みに対する見立てができるので、
比較的落ち着いて対処できる、という点が挙げられます。
お医者さんで言えば自分の症状から
自分の病名や治療方法などを判断できるというようなものです。
とはいえ、何事にも「限界」はあるものです。
2年間引きずっていたその悩みは、なかなか手強い存在でした。
全く歯が立たないのです。
アジャシャンティの「あなたの世界の終わり」に、
「最初の目覚め」(いわゆる一瞥体験)をしたあとの
アジャの体験のくだりがあります。
アジャはある人と
「機能不全の災難」と呼ばれるような関係性に陥ります。
そして、
「自分はどうやってが自分をここまでつれてきたのか、
どうやって自分をここから抜け出させることができるのだろうか」
ともういちど自分自身に問い直すプロセスに入るのです。
私はこの話がとても好きでした。
「機能不全の災難」と呼ばれるような人間関係に陥るのは、
エゴにそれなりの痛みがあるからです。
私は目覚めた人のことを
当時「すごい人」と思っていたところがあったので、
この話を読んで
「なーんだ、目覚めてない人(つまり自分:w)と一緒じゃん!」と
アジャにとても親近感が湧きました。
また「自分」というエゴのしくみを
徹底的に見抜く試みは何度繰り返してもいいんだなあと思えて、
とても気が楽になったのです。
悩んでいる時に、私を励ましてくれたのは
アジャのこのエピソードでした。
私も彼に倣い、地道にワークを続けようと思ったのです。
私は自分の潜在意識にある何が
この苦しみを生み出しているのかを知りたかったのでした。
といっても、もともとOAD心理セラピストですから、
こうした「エゴの構造を見抜き、解体する」
というワークはいつもしていたのです。
この自分自身への探究心は
セラピストとしての「習性」みたいなものです。
「趣味:潜在意識へのダイビング」だから(笑)。
なので、ワーク自体は鼻歌まじりな気分で取り組んでいました。
自分でワークするのがしんどい時は、
「歯医者だって自分の歯は治療できないもんな」と、
他のセラピストさんのセッションを受けることもありました。
それは時には暖かく、時には驚きを伴い、私の助けとなりました。
とりあえずの痛みが緩和されれば、先へ行く力も湧いてくるものです。
時折
「セラピストなのに、こんなに自分のこと何も扱えない私ってどうよ?」
というエゴの声にもずいぶんと囚われそうにもなりました。
そのたびに「いやいや、その思考をわきにおけ〜」と
ただ「苦しみ」の正体を解体していくプロセスが続いたのです。
そんな時、思わぬことがおきました。腱鞘炎になったのです。
(↓続きは 「ページ:」の「2」 をクリックしてください)